「ようこそ」という言葉をこれほど頻繁に口にする国は他にありません。そしてエジプト人がその言葉を口にするたび、それは本心からの歓迎です。悠久の歴史を持つ古代エジプト文明が人々を魅了し続ける一方で、現代のエジプト人も同じように驚くべき存在です。
サーリフ・ナジュム・エッディーン・アイユーブのマドラサと霊廟
サーリフ・ナジュム・エッディーン・アイユーブの霊廟:歴史と遺産が交わる場所
カイロの豊かな歴史的タペストリーの中心には、時の流れを静かに見守る12世紀の複合施設が佇んでいます。「サーリフ・ナジュム・エッディーン・アイユーブの霊廟」は、かつてマムルーク朝の輝かしい時代における高等裁判所として機能し、その壁の内側には幾世代にもわたる歴史の響きが宿っています。
この尊厳ある施設は、多くの影響力あるカイロの判事たちを育てた揺籃の地であり、その神学学校は啓蒙と学問の灯台として知られています。その起源はアイユーブ朝時代に遡り、歴史の回廊を響き渡る名、伝説的なサラディン(サラーフッディーン)によって築かれた王朝の一部です。
この神聖な地に隣接するのは、サルタン・アイユーブ自身の遺体を安置した霊廟です。この聖域は1250年に建設され、愛、陰謀、そして決意の物語を秘めています。これは、トルコ系の妻シャジャラット・アル=ドゥッルが、亡き夫の記憶を永遠に残すために抱いたビジョンであり、彼の死後も揺るぎない献身で追求し続けました。
しかし、この墓所はしばらくの間、厳重に守られた秘密のままでした。それは、ダミエッタに駐留するフランス十字軍が、サルタンの死を利用するのを防ぐという彼女の一途な目的のためでした。彼女の決意は揺るがず、彼女の意志は屈しませんでした。
やがて、彼女の勇気は勝利を収め、彼女は十字軍に対する戦いに勝利して、スルタナの称号を得ました。そして、彼女の統治は歴史に刻まれ、やがてマムルーク朝の時代、トルコ系のイェニチェリ兵が権力を握る時代へと引き継がれていきました。
「サーリフ・ナジュム・エッディーン・アイユーブの霊廟」は、歴史と遺産が交差する生きた証として存在しています。ここは、支配者たちの理想と民衆のたくましさが消えない印を残した場所です。この場所では、過去が耳を傾ける人々にその秘密を囁き、訪れる旅行者をエジプトの豊かな遺産とその人々の不屈の精神へと誘います。
作成日:2020年3月18日
更新日:2025年3月22日
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